自分が伝えたいことのベース

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脳はだいたいカオス状態

こうやってブログで自分のこと発信を始める時、自分の思いを表現するってことに重点をおけば感情そのままに書けると思っていたけど、学生の時から作文の課題は一度もやらなかった自分がまともに文章を書けるはずないのは当然。しかも、自分の意見、言いたいことがあまりにもまとまっておらず、自分の脳みそがカオスだと気づけるきっかけにもなった。自分の楽しいこと、日常を発信のために様々なことに挑戦しようと言う気持ちは持っていても、面白いネタは見つからない。そしてネガティブなことは発信したくないので嫌な感情に襲われても、気づかないふりをして自分の感情に蓋をするという、最も愚かな行動に出ていました。

楽しいよりもカッコいい

自分の生活において『楽しい』かという感情は確かにあるんですけど、出て来にくい。というよりも僕自身が感知しにくい感情の一つだと感じた。それよりも何か大きな一つの感情に揺さぶられているような気持ちになる。それは『不安』でもあるんだけどもっとポジティブでもあり、ネガティブでもある、自分の捉え方一つで形を変えるものでした。
それは『カッコいい』と思うえるかどうか。こんな風に思うこと自体ダサいんじゃないかって思っていたんですけど、最近自分の感情に蓋をして、言語化することをすごい恐れていた自分と向き合いたいたと思い、自分の根底にある感情が何かをよくよく調べてみたら、自分にとって『カッコいい』かどうかでいろんなことを判断して受け止めいた。

カッコいいを言葉に

結局『カッコいい』も『楽しい』も自分主体の感情だから、同じようなものだと思う人もいるだろうけど、それもやっぱり人それぞれ。僕の中ではすごい回数の『カッコいい』と『ダサい』が飛び交っているので、この感情が出て来たとき、その奥になる本音を気づくことができれば自分おことがよくわかるんだろうし、自分が感じることを発信したい僕にとって、『かっこよさ』を言葉にしていくというのすごい面白いではないかと感じました。

エシカルもカッコいい

それは僕が運営しているオンラインショップのコンセプトの『エシカル』や『ヴィーガン』という考えにも繋がっており、ただ地球環境を大事にすること、動物の命を守ることが善いことだというのは客観的には明らかなのですが、なぜその考え方が自分好みだったのか。それは『カッコいい』とそう感じたからなんですね。でもそれは『カッコいい』と思われるではなく、自分の心が『カッコいい』そう思ったから。今まで逆にカッコつけてカッコいいことにこだわって生き方を選んでたつもりやったけど、やっぱり自分は『カッコよく』いたいし、『カッコいい』ことが大好きなんやなって感じたここ数日でした。自分のコアになるかもしれない一つの感情を見つけると一つの軸になって、方向性が見いだせる。そんな気がします。でもゆうこすと被ってる、真似してるような感じもします。別にいいです

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