自分のことを考える時間

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自分に目を向けるきっかけ

2016年の誕生日に自分へのプレゼントとしてドイツのミュンヘン旅行をしました。当時ドイツに住んでいたので、日本からではなくたいそうなものではなく国内旅行扱いです。でも今まで自分の誕生日を自分で祝うことや、自分が本当にしたいことに目を向けるという機会を多く取ってこなかったので、今更に思えばすごく良いきっかけでした。
夢や目標はあるけれど、正直それは成功というモノを手に入れたいということなんだなぁ改めて感じている。それでももちろん、悪いことはないんだけど、一時的に満たされるモノを与え続けるよりも自分満たすコトをしたい。そう感じた。

旅行という体験を味わう

自分を満たすって意外に簡単ではない。そこにはお金や仕事、家族、友人、または社会や常識などがあり自分の自由な発想を思い出すことが難しくなっており、それを口にすることさえも悪のように感じられる。そんな人も多いんじゃないかな。楽しい時間を過ごしたい。ただそれだけなのに、その為に他人に期待したり、めんどくさいことを拒んだり、そうやって自分が望んだ感情から自ら離れる。そんなことを繰り返すうちに自分の思いや願いと向き合うことめんどくさくなり、現状維持という下り坂を進み始める。僕のミュンヘン旅行は旅行費はもちろん、自分だし、ホテルの予約や荷物の準備まで全て自分でやる。それこそが旅行という体験を味わいたかったから。

欲しかったのは旅行ではなく、思い出の共有

自分の欲求を知ることは生き方そのものなので、自分が望んだ通り今を生きてるはずです。海外が怖いと思ってる人は実際に海外に行くと怖いだろうし、同じ場所に行っても海外は最高だと思って行く人には最高な体験になる。モノの見方、感じ方は十人十色以上に違う。それを自分の好みで見てるだけ。だからこそ、自分が本心で何を望んでいるのかを知ることは大切で、何故そう望んでいるのか知るのはもっと大切。現実が理想と違うと感じている人は間違いなく、本心とのギャップがある。僕がミュンヘンに旅行をしたかったのは自分を満たす体験をしたかったから。それはミュンヘンに行くことではなく、当時の彼女とバイエルンに行ってキラキラした街を一緒に過ごすという、思い出の共有がしたかった。だからなのか、いつも計画通りにコトが進まないと苛立っていた僕が何時間電車が遅延しても全く動じなかったのは、旅行そのものが思い出の共有として認識していたからだろう。

外側を見続けるのはいたちごっこ

たぶん旅行が目的だったら、あれもやって、ここも行ってってなるんだけど、共有するコトが目的して旅行してると、なんでもいいんだよね。計画した時から始まっているわけだし、途中何があろうと体験は変わらずに、在り続ける。そんな風に当時は冷静に自分の旅行を客観視していたわけではないし、今でも外側で自分を満たす毎日の方が多いです。例えばTwitterをしていてもいいねがついていないかとか、フォロワーが増えていないかとか。そんな風に外側に目を向けて何かを始めても、いたちごっこが終わらないということは重々感じてきました。だからこそ、内側の自分の想いをしっかり感じて、分析する。そして外側に向けて思いやりを持って発信する。この発信するはいわゆるブログやSNSということではなく、想いです。気持ちというか、スピリチュアル的な言い方だと波動、エネルギーのようなもんかな。目に見えないモノを信じてって話ではなく、あくまでも自分の内側に目を向けて生きていたいなって話でした。

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