漫画からに学び BEASTARS

posted in: BOOK | 0

多種多様な動物が共に生きる世界

僕が大好きな漫画の一つにBEASTARSというハイイロオオカミのレゴシという少年が主人公のお話があります。この世界には人間はいなくて、多種多様な動物たちが、まずは学園生活から始まり、裏に世界を通して本能や雑念、愛、文化を通して社会を描いている物語なのですけど、これがすごく現代の人間社会を投影しているように感じている。同じ社会で生きる彼らを大きく分けると、肉食動物と草食動物、そして海洋動物になる。そしてBEASTARSの話の中で1番のキーワードとなる言葉が『食肉』だ。

食肉は罪

肉食動物というのはその名の通り、肉を食べることが当たり前の動物という認識なのだけど、彼らの場合食べられる相手(肉)は共に生活してる草食動物になってしまう。食肉は彼らの世界では罪になり、肉を食べたいという気を持たないことこそが正義、美しさのように描かれている。生きる為に肉を食べず、代用品でまかない、死ぬまで自分の身体・心と葛藤し続ける。BEASTARSは肉食動物のことを知らずには語れない内容になっている。本能である食べるということが罪になる世界。贅沢でもなく、趣味でもなく本能を罪にされる世界は今の僕たちには到底理解が及ばない。そして物語の序章は学園内の食殺事件から始まる。

言葉と共存

全ての動物が共通のコミュニケーションを取れることが可能になるとこうなってしまうのかと不思議な感覚に最初はなったけど、よくよく考えれば納得がいく。そこには言葉がある。言葉があることで文化が生まれ、社会が成り立ち、お互いのことを理解しあい、関係を育む。その関係性があるからこそ、食肉の本能をまだ抑えることが可能なのかなって思う。いつも一緒に学校で授業受けてる草食動物を食べる。そんなこと考えられないですもんね。お互いを理解した上で共に生きる。本当の共存というものの実現を可能にしているのかなと感じる。そして主人公のハイイロオオカミは異常なまでに優しく思いやりがある一方、肉食動物である自身がもつ葛藤と向き合い、草食動物に恋をし、裏社会にも足を踏み込んでいく。彼の成長は今までの漫画で描かれた『強くなる』とは少し違った、もっとより現代の人間らしい社会との向き合い方を通しての成長が感じられる。

欲ではなく良心で生きるということ

僕たちが人間が学ぶべき姿は彼らの世界にあるのではないかな。読んでいていつもそう感じてしまう。文化や背景、サイズ、体質そして生活習慣が全く異なる種と共に生きるのはこの地球でも起きている。共通言語が存在しないだけで、常に強者のような顔をして他種の生活、種をなくすという行為は愚行ではないだろうか。生きる為に肉を食べる。そんなことが許されない世界なんて想像も出来ないと感じているかもしれないけれど、他の国や文化では、もちろんあり得ることで、人間以外の動物を敬っている思想を持つ人もいる。同じ人間で言葉も通じるのに本能ではなく、欲の為に奪うことを繰り返すこの世界は悲しくないのか?生きているということに喜びを感じて、自分と他者の命に敬意を持って生活していくことは不可能なのか?

そんなことをこのBEASTARSを読むと考えさせられる。
僕は何があっても全ての種と共に生きていきたいし、自分が欲ではなく良心を持って生き、そんな自分をカッコ良く、そして誇りを持てるように在りたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください